2010年に刊行されて以来、イギリス英語ファンに愛されてきた『キクタンBRITISH』が、2026年8月に改訂されました。この改訂の狙い、単語集でありながら「本格的な発音教本」である理由、そして「今のリアルなイギリス発音」にこだわった背景を、EJO編集部が、著者・小川直樹先生に伺いました。
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単語集の皮をかぶった「日本一やさしいイギリス英語発音の教科書」
EJO:アルクの「キクタン」といえば「聞いて覚える単語帳」がコンセプトのシリーズです。ですがこの『キクタンBRITISH』は、Chapter 1をまるごと発音解説にあてていますよね。単語帳なのに、ここまで発音を掘り下げているのはなぜですか。
小川先生: イギリス英語が好きな人って、結局みんな発音に興味があるんですよ。だから、まずはそこにきちんと向き合ってもらいたかったわけです。
もう一つ大事なのが、この本が「“キク”タン」であること。「聞いて覚える」がコンセプトの本なんです。音声学の本や講義でありがちなのが、発音の理論を頭で覚えようとしてしまうパターン。でも、理論をどれだけ知っていても、発音はうまくなりません。本当にうまくなりたいなら、生きた音をとにかく聞くこと。これに尽きます。「キクタン」はまず聞く、繰り返し聞く、リズムに乗って聞く、という作りになっているので、良い発音を耳と体に染み込ませるのにすごく向いているんです。
EJO: よく話題になるイギリス英語とアメリカ英語の発音の違いというと、どんなものがありますか。
小川先生: みんなが知っているのは、たとえば「〜できない」の can't。アメリカ英語だと「キャント」[kǽnt]、イギリス英語だと「カーント」[kɑ́ːnt] になる、とか。teacher みたいな単語の er の響きが違う、というのもよく言われますね。他にもたくさんあります。でも、英米の英語には、発音の違いだけじゃなくて、実は、もっといろいろな違いが隠れているんですよ。そもそも使う単語自体がまったく違うケースもある。そういったことに踏み込めるのも、「キクタン」ならではの面白さなんです。

単語は「据え置き」だからこそ価値がある。30年の指導ノウハウを凝縮した「今のリアルな音」へのアップデート
EJO: 初版刊行から16年経っての改訂ですが、収録単語のラインナップ自体はほとんど変わっていません。これにはどんな理由が?
小川先生: もともと新語や流行語を追いかける単語集じゃないからです。本当に大事な日常の基本単語というのは、時代が変わってもそう簡単には動きません。イギリス全土で使われていて、現地の生活に本当に役立つ「普遍的かつ基本的な単語」を厳選しているので、一覧を大きく入れ替える必要はなかったんです。
その代わり、普通の単語集には載らないけれど、現地の生活にはすごく役立つ言葉がたくさん入っています。たとえばdungarees は「オーバーオール」のこと(アメリカ英語では overall)。こういう、日本人には意外に思える英米の単語の違いを学べる特集ページも用意しています。ほかにも「Ta-ta!」(じゃあね〜!)みたいなくだけた挨拶は、学校ではまず習わない。こういう生きた言葉を拾えるのが、この本の強みだと思っています。
EJO: 単語が「据え置き」であること自体が、バイブルとしての普遍性を証明しているわけですね。では、今回の改訂で一番大きく変わったのはどこですか。
小川先生: 発音解説の部分ですね。旧版を書いてから十数年、僕自身が「こう教えたら日本人はもっとうまく発音できる」と身につけてきた指導のコツを最大限に注ぎ込んで、書き改めました。
実はこの十数年で、発音の表記法自体もだいぶ進化しましたし、イギリス英語の発音そのものも変化しているんです。従来、イギリス英語の発音といえば上品な「RP(容認発音)」がお手本とされてきましたが、今やRPは時代劇の中の王侯貴族の話し方みたいなもの。実生活からはちょっと浮いた存在になりつつあります。実際、チャールズ現国王の発音でさえ、標準的なRPとは違う、もっと現代的な発音に変わっているんですよ。そういう現代のリアルな事情を踏まえて、今回は僕のどの著書よりも新しい表記法で「今のリアルな発音」を表すことにしました。
EJO: 具体的に、発音記号はどう変わったんでしょうか。
小川先生: たとえば、多くの辞書で[aɪ]と[aʊ]と表記されている二重母音。実は、今のイギリスでは、両者の出だしの「ア」の音質がかなり違うんです。それを明確に表すため、[ɑɪ]と[aʊ]に表記を改めました。今までの僕の著書の中では、この「ア」の音質の違いには触れてはいたんですが、実際に違う記号を使うというのは、今回が初めてです。なお、比較のために載せてあるアメリカ発音では、[aɪ]は[aɪ]のままです。ここだけの話、この変更はめちゃめちゃ細かい作業だったので、目が疲れました(笑)。
加えて、これは僕の他の著書でもすでにしている例なんですが、 [æ](エとアの中間の音)と表記されている母音には[a]という記号を採用しました。これは、今のイギリス英語では「エ」の響きが薄まって、日本語の「ア」にかなり近くなっているためで、よりリアルな表記にしたわけです。また、かつては二重母音とされていた音が、現代イギリス英語では単純な長母音に変化している(たとえば[ɛə]→[ɛː])。そういう実態も全部反映させています。
初校のゲラを今日持ってきたんですよ。旧版のどこを直すべきかを僕が書き込んだものなんですけど、見てください、これ。とんでもない量の赤字が入ってるでしょう(笑)。これをよく読み込んで改訂作業をやってくれたなと、編集部には本当に感謝しています。このページなんて、上の部分が丸ごとバツになっていて、説明を完全に差し替えることになっているんですから。

真っ赤になったゲラ
EJO: 先生の熱いこだわりと、編集部の丁寧な作業が合わさって、この改訂版が完成したんですね。
小川先生: そういうことですね。説明を全く変えてしまった部分もありますし、例文の解説もかなり書き足しました。発音の情報だけじゃなく、イギリス文化にまつわる背景情報や、英米での単語の使い分けまで、多岐にわたって手を入れたので、旧版に比べると情報量が格段に濃くなっていると思います。もう「改訂版、買いてー」ってなりますよ、これ(笑)。
EJO: ちなみに、今回どうしても入れたかったけれど、泣く泣く見送った部分もあると伺いました。
小川先生: そうなんですよ。実は、2語以上のフレーズには全部、強勢記号をつけたかったんです。でも、さすがにそれは紙面の都合で編集部に却下されてしまいました(笑)。
EJO: 強勢記号、ですか?
小川先生: はい。日本の英和辞書って、フレーズでの「第2強勢」をあまり重視していないんですけど、これが英語らしい英語の発音には欠かせないんですよ。日本人はここが結構苦手で。たとえば地名で1語目を強くしたり、2語とも同じ強さで発音してしまったりします。でも、実際には2語目のほうが強くなるのが自然。本書では地名に限らず、フレーズの強勢の付け方をちゃんと伝えたかったんです。
ただ、説明するスペースがなくて、記号だけポンとつけても学習者には伝わらない。だから今回は見送って、代わりにEnglish Journal Onlineの記事にしようという話になったんです。近いうちに連載が始まる予定ですよ。
EJO: それは楽しみですね。
「側面破裂」と言われても? 指導経験から生まれた「専門用語ゼロ」の教え方
EJO: 先生の発音解説は、実際にその通り口を動かすと、驚くほどそれらしいイギリス発音が出せます。たとえば、「[iː] は奥歯が見えそうになるまで口を横に引っ張る」といった解説なので、口の形をしっかりイメージできます。執筆にあたって、どんな点にこだわられたんですか。
小川先生: イギリス英語を勉強したい人って、結局「自分でその音を再現したい」んですよね。でも、一般的な発音の本は理論的なメカニズムの解説に偏りがち。それだと音声学の知識は増えても、自分で発音できるようにはならない。
たとえば「これは側面破裂(※)と言います」と専門用語で説明されても、読者はそれをどう出せばいいのか分からないままなんです。読者が本当に知りたいのは、専門用語の名前じゃなくて「どうやってその音を出すのか」そのもの。今回の本では側面破裂自体は扱っていませんが、そういう難しそうな現象について、できるだけ専門用語を省いて、日本人が感覚的にうまく出せるように、表現を工夫しました。
大学の講義でも同じです。教職志望の学生も多いので、専門用語を覚えさせることより、実際に出せるようになる方向に重点を置いています。学生たちの反応を見ながら、「こうしたらもっとうまくいくな」と考えながら、教え方を常にブラッシュアップしています。その成果を反映しているのが本書というわけです。
※側面破裂……「側面開放」ともいう。bottle の[tl]がその典型例。2文字で表記するので、日本人としては舌をいったん離したくなる。だがむしろ1つの音と思って、舌を絶対に離さないことがポイント。まず舌を上歯茎につけっぱなしにして、[l]を長く出す練習から始める。慣れたら、出だしで息を止めてから、長い[l]を出すようにする。イギリス発音では、出だしで舌先に力を入れて、一気に鋭く息を出す。でも舌は離さない!
EJO: でも、最近ではYouTubeでも、発音を学べる動画はたくさんありますよね。
小川先生: ええ、確かに学べる方法は増えました。でも、ネイティブの発音を示して「はい、こう発音しますよ」までは教えてくれるんですけど、「じゃあどうしたら普通の日本人にもその口の形ができるのか、その音を出せるのか」までは踏み込んでくれていないと感じます。お医者さんでたとえれば「診断はしてくれるけど、治療はしてくれない」ような状態なんです。僕がやりたいのはまさにその「治療」の部分なんです。
だから、本書の説明では、専門用語に頼らず、できるだけ感覚的にわかりやすい表現を使って発音方法を言語化することに注力しました。実際に編集者も自分で何度も試して、うまく出せたと報告してくれているので、皆さんもうまくいくと思います。
朝ドラ出演のあの女優も!耳が幸せになる「三者三様」の美しい音声
EJO: 今回の改訂版は、音声ダウンロード(boocoアプリなど)に対応したことで、使い勝手も劇的に向上しました。ナレーター陣に新しい方が加わったことも話題ですね。
小川先生: 音声ダウンロードは本当に便利になりましたね。今回は、旧版からおなじみのビル・ベンフィールドさん、エマ・ハワードさんに加えて、新しく男性ナレーターのマイケル・リースさんが吹き込んでくれました。
ビルさんの発音は、ロンドンの街中で実際に話されているような、リアルで自然な英語のサンプル。女性ナレーターのエマさんの発音は、もう本当にものすごく綺麗です。彼女はNHKの連続テレビ小説にも出演されていた女優さんで(『風、薫る』のバーンズ先生役)、さすがプロとして徹底的に訓練された、うっとりするほど美しい響きを持っています。
そこに今回、声優もされているマイケルさんの、イギリスのCMのナレーションで聞こえてくるような格好いい発音が加わりました。「綺麗だけどリアルな、街角のくだけた英語」のビルさん、「俳優らしい完璧に美しく格式高い英語」のエマさん、「プロフェッショナルな声優の響き」のマイケルさん。この三者三様のイギリス英語を、いつでもどこでもスマホで手軽に聞き比べられるのは、この改訂版ならではの大きな魅力だと思います。
EJO: ただの単語集だと思ってスルーするにはもったいない、小川先生のこだわりと美しい音声が詰まった一生モノの発音バイブルですね。最後に、本書でイギリス英語を勉強したい読者に向けてメッセージをお願いします。
小川先生:『改訂版 キクタンBRITISH』は、イギリス英語の発音に興味がある人のほかに、実際にイギリスで生活しようという場合にも役に立つ本だと思います。 イギリスでの暮らしにご興味のある方、これから旅行や出張で現地に行こうと思っている方も、ぜひぜひお手に取っていただければと思います。
EJO: 本日はありがとうございました。
聞いて覚えるイギリス英語入門
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