「世界を旅する英語教師」飯塚直輝さんが世界各地の教室で授業を行い、「誰のため、何のために英語を学び、教えるのか」という問いへの答えを探していきます。第4回に引き続き、内戦によって故郷を追われたシリア難民の子どもたちが通う、レバノンの学校での体験をつづります。第5回では、「できない」とすぐに諦めていた子どもたちが、英語の歌や仲間との学びを通して自信を取り戻していく姿を紹介します。しかしその後、戦争によって子どもたちは再び居場所を追われることに。飯塚さんは、戦争を前に、教育に何ができるのかを問い直します。
目次
「安心できる場所」の先にある、もう一つの高い壁
前回お届けした【前編】では、シリア難民の子どもたちが通う、喧嘩の絶えなかった学校が、地道な環境づくりや道徳の授業を通して「安心・安全な居場所」へと変わっていくプロセスをお伝えしました。
温かい土台が整い、いよいよ僕は12年間の教員生活で培ってきた経験を生かして、英語の授業をスタートさせました。しかし、そこで目の前に立ちはだかったのは、彼らの心のさらに奥にある「もう一つの高い壁」でした。
授業で少しでも難易度が上がると、子どもたちはすぐに「こんなのやりたくない!」「英語の歌なんて中止して!」と騒ぎ出し、机に突っ伏したり、教室を脱走したりして、授業から逃げ出してしまったのです。
それは僕への反抗ではなく、彼らが自分の知性や能力に対して、極度に「自信」を失っていたからでした。これまで「壁に挑戦し、それを乗り越えた経験」があまりにも少なかった彼らは、難しい課題にぶつかると、自分を守るために挑戦そのものを諦めてしまっていたのです。
英語の授業を拒否し、怒ってしまった男の子
「できないこと」への挑戦と、乗り越えた実感
この状況を打開するために必要だったのは、彼らが「挑戦して、できた!」と実感できる成功体験でした。そこでまず取り組んだのが、英語の歌を使った授業でした。
最初、流行りの洋楽に挑戦したものの、速すぎてついていけず、子どもたちは「やっぱり歌いたくない!」と一瞬で諦めてしまいました。そこで、難易度を丁寧に調整し、彼らの実力から少し努力すれば届くレベルの名曲、『Have You Ever Seen the Rain?』を選び直しました。
「もう歌わない!」と机に突っ伏す子どもたちの主張を優しく受け止めたり、なだめたりしながら、サビのフレーズを黒板に書き、1語ずつ、1フレーズずつ、リズムに合わせて何度も何度も一緒に練習を重ねました。
ワンフレーズ歌えただけで、喜ぶ子どもたち
最初は後ろ向きだった子どもたちも、毎日少しずつフレーズが口から出るようになると、目の色が変わっていきました。そして1週間後、全員でサビを最後まで歌いきれた瞬間、教室中に笑顔が弾け、誇らしげな拍手が巻き起こったのです。
一度は諦めかけた「できないこと」に挑戦し、自分の力で「できた!」に変えていく。その成長の実感が、彼らの心にあった「どうせ自分なんて」という投げやりな気持ちを、鮮やかに消し去っていきました。
歌を最後まで歌えるように
「言葉」を通して、仲間と、そして社会とつながる
自信を取り戻し始めた子どもたちに向けて、次に僕が仕掛けたのは「言葉を通してつながる」授業でした。
レバノンのシリア難民キャンプの人々は、親族や小さなコミュニティ内で連帯して生きる必要があり、互いに強く結びついていました。同じ学校に通う子たちの中でも他の地域の子に対して排他的になりがちで、それが理由で喧嘩が起こることもしばしば。そこで英語の授業の中でペアワークを行うことにしました。お互いの音読する姿を動画で撮影し合い、自分のパートナーの音読に対して「良いところ」や「褒め言葉」をコメントシートに書いてプレゼントする取り組みを行ったのです。
普段はあまり口をきかないグループの子から「英語の発音がすごくきれいだった」「勇気があってかっこよかった」というコメントをもらった生徒は、食い入るようにシートを見つめ、あふれるような笑みをこぼしていました。自分の努力が他者に認められ、他者の良さを発見する。普段は交流がない相手から愛のある言葉を送られて、心の接点が生まれることこそが、僕の考える「本当のつながり」でした。
仲間からのコメントを読み、嬉しそうにする子
また、仲間だけでなく社会とのつながりについても自分で考え、それを言葉にする活動へと広げていきました。授業では、ベイルート(注1)の巨大なゴミ山の写真を提示し、「自分たちが日常的に出しているゴミが、実は誰かを苦しめているかもしれない」という現実(注2)について目を向けてもらいました。
見たくない現実に触れ、心が大きく揺さぶられた瞬間、子どもたちの中に「自分の部屋の古着を鍋敷きとしてリユース(再利用)しよう」「長靴で植物を育てよう」という、自分なりの考えを言葉や絵で表現したいという強いエネルギーが湧き上がってきたのです。
(注1)レバノンの首都。
(注2)ベイルートでは2015年に主要なゴミ処分場が閉鎖され、大量のゴミが街にあふれる「ゴミ危機」が発生。その後も、環境や健康への深刻な影響を及ぼしている。
使用済みの服をタオルにするアイデアを考えた子
どんなに愛を注いでも、戦争の前では教育は無力なのか
「どんなあなたであっても、生きているだけで素晴らしいんだよ」――存在そのものを承認し、無条件の愛で包み込む大人がいて初めて、子どもは安心して「できないこと」へ挑戦し、自分の人生に「YES」と言って歩み出すことができる。
レバノンの子どもたちが教えてくれたこの答えは、僕が12年間の教員生活で見失いかけていた教育の本質そのものでした。
しかし、現実はあまりにもあっけなくその答えを打ち砕きました。僕がクリスマス前にレバノンを去ったあと、イスラエルによるレバノンへの空爆がありました。かつて母国を追われ、心も身体も傷つきながらレバノンへたどり着いたシリア難民の生徒たちは、今度はそのレバノンさえも追われ、情勢の不安定なシリアへと戻らざるを得なくなったのです。
彼らは無事に行き着けたのか。それとも、激しい攻撃の渦中に巻き込まれてしまったのか。今、確かめる術はありません。
どんなに無条件の愛を注いでも、どんなに素晴らしい授業を届けても、一瞬の情勢変化や大人たちの戦争によって、子どもたちの居場所も、日常も、そして命さえも奪われてしまう。
教育とは、一体何のためにあるのでしょう。 国や政治の事情や戦争という巨大な暴力の前に、僕たちが渡せる「知識」や「愛」は、あまりにも無力なのではないか。幸せとは、平和とは、大人が子どもたちに与えられるものとは何なのか。
レバノンでの出会いと、その後に訪れた残酷な現実は、僕に教育者として、そして一人の人間としての根本的な問いを突きつけていました。
(最終回へ続く)
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